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日本はどうやって「ごみ戦争」に打ち勝ったか?―中国メディア

東京では高くそびえ立つ円柱や四角柱の煙突をよく見かける。清掃工場(ごみ処理場)のシンボル的建築物で、東京23区にはすべてごみ処理場が1-2カ所ある。ごみ処理場は資源回収にとって重要な役割を果たすだけでなく、ごみ焼却時の熱で発電したり、温水を提供したりすることもできる。もちろん、最も重要な目的はごみの削減で、これはきれいで清潔な都市環境を確保する上で重要な役割を果たしている。そしてその前提となるのが、ごみの非常に細かな分別回収システムだ。新華網が伝えた。 

日本のごみ処理の道のりは決して順調ではなかった。1950年代になり、高度成長期に入ると、生活スタイルは大量生産、大量消費、大量廃棄へと変わり、最終的にごみ埋め立て地は足りなくなり、ごみ問題が深刻化し、衝突もたびたび生じるようになって、「ごみ戦争」が勃発した。中でも「東京ごみ戦争」が最も有名だ。 

高度成長期に入りごみ問題が深刻化したことから、日本の国会は1970年12月25日、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄物処理法)」を制定し、その後、複数回の改正が行われた。この法律の狙いは廃棄物の排出を抑制し、廃棄物を適切に分類、保管、収集、輸送、再生、処理し、清潔な生活環境を維持して、生活環境を改善し公衆衛生を向上させることにある。 

2013年に熊本県水俣市の環境クリーンセンターを取材した。ここでは市民対象のごみ分別説明会が常時開催されており、講演台の前には分類サンプルがずらりと並んでいた。ケーブル、古新聞、古着、小型家電、ミネラルウォーターのボトル、アルミ缶、スチール缶など、全部で24分類もあった。印象深かったのはガラスの瓶が透明、黒、茶色、緑、水色など色別に分けられていたことだ。 

徳島県上勝町はさらにその上をいき、現在は45分類で日本で一番多い。同町は03年に日本全国に先駆けて「ごみゼロ(ゼロ・ウェイスト)宣言」をし、20年をめどにごみをゼロにすることを目標に掲げた。同町にはごみ収集車がなく、55カ所のコミュニティーに暮らす787世帯の1552人(17年10月1日現在)が自分で仕分けして自分でごみステーションに持ち込まなければならない。細かい分類により、リサイクル率は約80%に達したという。 

初めて日本に来て働く人は、まずごみの分別を学ばなければならない。ちゃんと学ばないとコミュニティーのごみ処理に迷惑をかけることになる。ルールに従って分別せずにごみを捨てると、ごみ収集車の作業員に回収してもらえず、ごみ収集場に置きっ放しになり景観を損ねる。そういうわけで、同僚に分類の仕方をしっかり教えてもらう必要がある。最初は確かに面倒くさく感じるが、慣れてくると生活の一部のようになる。中国に帰れば分類せずにすみ、何でも一緒くたにごみ箱に放り込めばよく、楽になるはずだが、ある種の「罪悪感」を感じるようになる。 

ルールを守らずに捨てられたごみは、作業員が回収しないだけでなく、ごみ袋や家の壁に警告の紙が貼られる。体裁を気にする日本人にとって、このような対応は一種の見せしめにほかならず、隣人たちの前で顔を上げられなくなる。 

筆者が04年に東京で働き始めた頃、プラスチック製の袋は不燃ごみだったが、焼却技術が向上して、08年から可燃ごみになった。しかし全体としていえるのは、日本のごみ分類はますます細分化しているということだ。多くの地域で分類が増加している。 

高度成長期、日本の家庭ごみは主に燃えるかどうかで可燃ごみと不燃ごみに分けられていた。1990年代になると、リサイクルの重要性の認識、ごみによる環境汚染、埋め立て地の減少に伴い、ごみ減量がますます重視されるようになり、古新聞・古雑誌、プラスチック類、使用済み電池・蛍光管などが分類の対象になった。 

東京のような大都市だけでなく、前出の水俣市のような小都市、上勝町のような農村地域でも、ごみ分別は同じように整然と秩序をもって行われている。ごみ分別は今や日本の全国的な取り組みだといえる。 

ごみ分別は省エネ意識や環境保護意識と密接なつながりがある。日本の教育では小さい頃から省エネについて学び、小学校になるとごみ分別の知識も学ぶ。ごみ収集場のルールに従って分類されていないごみの写真を撮り、小学校で「反面教師」として使用されることもある。小さい時からごみ分別意識を醸成している日本人にはごみを持ち帰る習慣があり、大通りから路地裏まで、自動販売機の横に缶やペットボトルを分別回収するためのごみ箱はあるが、それ以外はどこにもごみ箱を見かけない。 

親は子どもにとって最初の先生であり、家庭での教育が極めて重要だ。親がルールを守ってごみを分別していれば、子どもにとってよいお手本になる。 

筆者が三重県の熊野古道に行った時、おじいさんが孫を連れてたばこの吸い殻を拾っている光景を目にしたことがある。「こんなことで日本はどうなるのか」と孫に戒めるように語っていた。長野県の自動車学校に通っていた時には、一緒に勉強していた日本人の青年が田んぼに転がったペットボトルを見るなり、「こんなことで日本はどうなってしまうのか」とため息をついていた。ごみを見て国の行く末を考える意識の高さは、日本人が面倒がらずにごみを分別する一種の原動力なのかもしれない。